由于外国居民的增加,2年前开设的北海道国际学校二世古分校进行全英文授课。学校重视每个人的兴趣和个性,双亲都是日本人的孩子也在这里学习。
北海道二世古町,山本裕之拍摄
仰望羊蹄山的木结构校舍已经建成约80年了,是北海道最古老的。俱知安町立西小学桦山分校是一所只有27个孩子的小学校。从1年级到6年级一起在学校吃饭的样子,就像兄弟姐妹一样。负责打饭的女孩儿头上包着三角巾,从里面露出金色的头发。学生中约一半人的父母或其中一方是外国人。
从俱知安町到旁边的二世古町,以滑雪客为中心,这10年外国游客增加了10倍。饭馆、高级公寓、旅行社等也越来越多。距离学校1公里多的比罗夫地区到处是英文招牌。
二世古町内的小学生到目前为止持续减少,今年为214人。小学只有2所。但是陆续有年轻的外国人和移居此地的日本人缔结跨国婚姻,学龄前儿童比这个数字还要多70人左右。估计今后学校的学生数会增加。
因为有很多国际夫妇希望用英语进行教育,所以2年前,在町政府的帮助下,北海道国际学校的二世古分校建成了。从学龄前儿童到6年级一共有13人。另一方面,只在暑假等时候来几天或几星期的孩子,今年上升到约150人。片山健也町长说:“日本的教育也最好学习不同的价值观。对拓宽孩子和老师的视野来说意义重大。”
二世古町因为外国居民的增加,教育变得国际化。对教育的热情支持反过来也增加了外国居民的数量,有些地方也考虑用这种方式来阻止人口减少。
未来的人材,地方来支援
位于广岛县山区的安艺高田市。“购物是……对,小写的‘ツ’。”在四周一片田园风光的民房的起居室里,一个十几岁的巴西少女和一个志愿者女老师面对面地坐着,在笔记本上认真地写字。少女虽然在初中的年龄来到日本,但因为语言的障碍无法跟上学业,因此没有上学。
今年,市里为这样的孩子开设了5个教室。上学的都是在周围汽车工厂工作的外国家庭的孩子。虽然每个教室只有一两个人,但办学的市国际交流协会的眀木一悦先生希望:“大家都是很重要的本地孩子。我想培养好好学习,将来在这里开创事业,肩负地区重担的人材。”
全市人口这10年减少了近5千人,跌至约3万人。为阻止人口减少,市里提出“希望让外国人集中居住在本町”。一边致力于依靠外国人的政策,一边寻求周边地区的人口迁入。
日本国际交流中心7月以所有都道府县和政令指定市为对象进行了问卷调查,关于定居外国人的增加,选择“希望讨论研究”、“最好自然增长”和其他积极应对的选项的自治体共计超过3成。选择“最好不要”的为0。
据文部科学省统计,2012年5月,从公立的小学到高中,全国约有3万3千的儿童和学生需要日语指导。在编的自治体可以数出约80个。这已经不仅仅是外国人集中居住的地区的问题了。
三重县铃鹿市山脚的村落里,11年春天来了3个缅甸克伦族的家庭,其中包括9个孩子。日本制定了第三国定居制度,这是接收的第一批来自海外难民营的家庭。“日本的年轻人不从事农业。想让他们来当搬运工。”香菇种植业的川森浩先生(53岁)雇佣了这3对夫妻。“不过,孩子在预想之外。”父母无法阅读学校的讲义,也不能帮忙做作业。只有川森先生的妻子贵子女士(40岁)和几位职工暂时帮点忙。
另一方面,缩短这些家庭和当地居民之间距离的也是孩子们。当初,本地居民中有人怀疑“他们到底是什么人啊”,但当地的孩子很快就走入了难民家庭的家中,虽然语言不通,但和孩子们一起玩耍。大人们不久也邀请这些家庭参加学校活动,给他们送蔬菜,整个地区一同援助他们。“果然孩子来了就有了生气。”自治会长仓田章先生(66岁)说。
2年后,3个家庭中的2个拒绝了当地居民的挽留,搬去了有很多同胞居住的首都圈。在送别会上,孩子们泣不成声。
但是,留下的家庭积极前进。小学6年级的奈考陶在足球队大显身手。初中2年级的索考雷虽然用日语上课还有些吃力,但是参加了学生会干事的竞选。今年,学校转来了别的外国学生。“我觉得他可能会有些担心,所以我会照顾他的。”索考雷对班主任说。他说将来想当老师。(浅仓拓也)
日文原稿:
外国人が定住、分校に活気 北海道の町、児童減に歯止め
浅倉拓也
日本朝日新闻 2014年9月22日01時54分
羊蹄山(ようていざん)を見上げる築約80年の木造校舎は、北海道で最も古い。倶知安(くっちゃん)町立西小学校樺山分校は、児童27人の小さな学校だ。1年から6年まで一緒に給食を食べる様子は、まるできょうだいのよう。給食係の女の子は、三角巾からブロンドの髪をのぞかせていた。児童の約半数は、両親または片方が外国人だ。
倶知安町から隣のニセコ町にかけては、スキー客を中心に、この10年で外国人観光客が10倍に増えた。飲食店、高級アパート経営、ツアー会社……。学校から1キロ余り離れた比羅夫(ひらふ)地区は英語の看板が並ぶ。
ニセコ町内ではこれまで小学生の減少が続き、今年度は214人。小学校は2校しかない。だが、若い外国人と町外から移り住んだ日本人との国際結婚が相次ぎ、就学前の幼児はこれより約70人多い。学校の児童数は今後、増加に転じる見込みだ。
英語で教育したいと考える国際カップルが多いことから、町の支援を受けて北海道インターナショナルスクールのニセコ校が2年前にできた。就学前の幼児から6年まで13人が通う。一方、夏休みなどに数日から数週間だけ来た子どもは、今年だけで約150人にのぼる。片山健也町長は「日本の教育も異なる価値観を学んだ方がいい。子どもや先生の視点を広げる意味でも大きい」という。
外国人住民の増加で教育が国際化したニセコ町。一方、教育の支援を手厚くして外国人住民を増やし、人口減少に歯止めをかけようと考える地域もある。
未来の人材、地域で支援
広島県の山間部にある安芸高田(あきたかた)市。「ショッピングは…そう、小さい『ツ』」。田園風景に囲まれた民家の居間で、10代のブラジル人少女が女性ボランティアの先生と一対一で向き合い、ノートに丁寧な字を書いていた。少女は中学生の年齢で来日したが、言葉の壁で授業についていけず、学校に行ってなかった。
今年度、こうした子どものための教室が市内5カ所にできた。周辺の自動車関連工場などで働く外国人家族の子たちが通う。各教室1、2人ほどだが、運営する市国際交流協会の明木一悦さんは「みんな大切な地域の子。しっかり勉強して、将来はここで起業するなど、地域を担う人材に育ってほしい」と願う。
市の人口は、この10年で5千人近く減って約3万人に落ち込んだ。人口減少に歯止めをかけようと、市は「外国人を集住させたい町」を掲げる。外国人支援策に力を入れながら、周辺地域からの転入もねらう。
日本国際交流センターが7月、全都道府県と政令指定市を対象にアンケートしたところ、定住外国人の増加について「検討したい」「自然に増加することは望ましい」と前向きな選択肢を選んだ自治体が合計で3割を超えた。「望ましくない」はゼロだった。
文部科学省によると、公立の小学校から高校まで、日本語指導が必要な児童や生徒は2012年5月現在で、全国に約3万3千人いる。在籍する自治体数は約800を数える。もはや外国人が集住する地域だけの問題ではなくなっている。
三重県鈴鹿市の山麓(さんろく)の集落に11年春、子ども9人を含む、ミャンマー・カレン族の3家族がやって来た。日本が海外の難民キャンプにいる家族を受け入れる第三国定住の第1陣だ。「日本の若者は農業をしない。担い手になってくれればいいかなと」。シイタケ栽培業の川森浩さん(53)が3組の夫妻を雇用した。「ただ、子どもは想定外だった」。親は学校のプリントを読めないし、宿題も手伝えない。しばらく川森さんの妻の貴子さん(40)や従業員がつきっきりだった。
一方で家族と住民の距離を縮めたのも、子どもたちだった。当初、地元住民には「いったいどういう人たちなんだ」といぶかしがる人もいたが、地元の子はすぐに難民家族の家に上がり込み、言葉も分からないうちから子ども同士で遊んだ。大人たちもやがて、学校行事に家族を誘いに行ったり、野菜を届けたり、地域全体で支えるようになった。「やっぱり子どもが来れば活気が出るな」。自治会長の倉田章さん(66)は言う。
2年後、3家族のうち2家族は、住民らの引き留めをふりきり、同胞が多く住む首都圏に引っ越してしまった。お別れの会で子どもたちは泣きじゃくった。
でも、残った家族は前向きだ。小学6年のネィコートゥー君はサッカーチームで活躍。中学2年になったソーコーレ君は、日本語で授業についていくのは、まだまだ大変だが、生徒会役員にも立候補した。今年、学校に別の外国人生徒が転入して来た。「不安だと思うから、僕が面倒をみます」。ソーコーレ君は担任に言った。将来は教師をめざしているという。(浅倉拓也)