次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさいぼくの子どものころは、買い物をするにも、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやり取りをする要領が大事なことだった。同じ物を買うにしても、要領が悪くドジだと、高い値段で買わされてしまう。普段からのつきあいだって、買い物のときになって、(①)のだった。
これは、ある意味で、不平等なことであった。同じものを買うのに、相手しだいで値段が変わる。ドジだと、損になる。
いまでは、定価が決まっている。平等に、だれでも同じ値段で、買い物ができる。しかし、時にはそれが、②ちょっと味気ない気がしないでもない。何よりも、要領を身に付けようと、努力することがなくなった。店の人と関係を取り結ぼうと、普段から心がけることがなくなった。平等なかわりに、冷たい関係になってしまった。
なんどかドジをして、だんだんと要領をおぼえていくものでもあった。その意味では、店の人というのは、要領の先生であった。(中略)
値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意味を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意味で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。
このことの逆として、自分で判断し、自分で責任を取る機械は、平等や公正の名のもとに、だんだんと少なくなってきているのではないだろうか。さらにそれが、学校などで、共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から③遠くなっているような気がする。
どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、とぼくは考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。
普段からの関係に気をくばり、要領よくふるまうのは、ズルイこととされている。それでは、平等で公正にならない。
にもかかわらず、不平等や不公正のなかで要領よくたちまわるズルサ、そのことの意味を、もう一度、考えなおしてみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。
問1(①)にはどんな言葉が入るか。
1)ものになる
2)ものをいう
3)ものにする
4)ものともしない
問2②「ちょっと味気ない気がしないでもない」とあるが、どういう理由からか。
1)不平等で冷たい関係になってしまったから
2)店の人と関係を取り結ばなくてはいけなくなったから
3)要領を身につけようと努力することがなくなったから
4)人間関係で苦労する必要がなくなって、楽になったから
問3③「遠くなっている」とあるが、何が「遠くなっている」のか。
1)要領の先生
2)自分で買い物をする機会
3)平等や公正を保証された社会
4)自分で判断し、自分で責任を取る機会
問4筆者は「要領」と言う言葉を、どういう意味で使っているか。
1)物事のいちばん大事な点
2)本能的に身についている能力
3)物事をうまくやるためのコツ
4)苦労や努力をしないでうまくたちまわること
問5この文章の内容と合わないものはどれか。
1)要領よくたちまわるズルサもわれわれには必要である。
2)要領よくたちまわることは人間の信頼関係をこわすことになる。
3)どんな世の中でも、自分で判断し自分で責任を取ることが、自分を守ることになる。
4)平等で公正な世の中で、われわれの人間関係はおもしろみのない冷たいものになってきた。
問(1)2 (2)3 (3)4 (4)3 (5)2