故宮博物院
15世紀初め、中国明代の第三皇帝・朱棣(成祖永楽帝)は即位後に、南京から北京へと都を移した。その後、永楽4年(1406年)に始められた宮廷建設は、永楽18年(1420年)に完成。中国古代の占星学により、天空の中心にある天帝の座・紫微星(北極星)に対して、天帝の子である皇帝の城は地上の中心であると考えられたことから、宮廷は「紫禁城」と名付けられた。
1911年の辛亥革命で清が滅び、最後の皇帝・溥儀が紫禁城を去った後の25年10月10日、ここが故宮博物院として正式に認可された。500年近くに及んだ封建支配による政治の幕を閉じたのである。故宮博物院は1987年、ユネスコの世界文化遺産リストに登録された。 「午門」は紫禁城の正門である。宮廷の中に太陽(皇帝)が座していると考えられたので、正門は北に向かって建てられた。また中国の古代地相学により、正門が子午(南北)の方角に置かれたことから、午門と呼ばれるようになった。
午門には、中央と左右に五つの門が通じている。中央門は皇帝、皇后の専用で、「御路」と呼ばれた。中央門の両側は王侯貴族の専用門、さらにその両隣となる東西の脇門は通常は閉ざされていたが、殿試(科挙の最終試験)の時には文武進士(受験者)がここから入城したと言われる。
紫禁城の建築は、大きく「外朝」と「内廷」の二つに分かれる。午門を抜けると、そこが紫禁城の外朝だ。外朝は、儀式や朝賀、祝宴などが行われた場所である。 金水河と呼ばれる水路を渡り、太和門を抜けると目に入るのが太和殿だ。現存する中国最大の木造建築であり、別名「金鑾殿」とも呼ばれる。太和殿とその後ろの中和殿、保和殿の三大殿は、「工」の字型の土台(高さ8・13メートル)の上に建てられている。