住民は壮族、漢族、ヤオ族、苗族、トン族、イ族、回族、水族、京族など。そのうち、三分の一を壮族が占める。
盆地状の地形に、丘陵が連なり、その間を縫って渓谷が縦横に走る。石灰岩がひろく分布しカルスト地形を形成し、奇峰がそびえ、鍾乳洞がおおい。
桂林は古くからその山水を称えられ、「桂林の山水天下に甲たり」などと言われている。
<桂林王城>(けいりんおうじょう)
桂林市の市街の中心部にある。明代の靖江王府。明の太祖洪武帝(朱元璋)の甥の子である朱守謙が靖江王としてこの地に封ぜられた。朱元璋は、中国統一後、一族を各地に配置し王朝の安定を図った。明が滅亡するまで、桂林は朱守謙の子孫によって治められていた。
造営の完成は1393年。周囲は約1.5キロ(東西250メートル、南北500メートル)で、城壁の表には方形の石を積み上げ、内側には砂と砕石が打ち固められている。東西南北にそれぞれ門がひとつずつ設けられている。
清代に科挙の試験場である貢院として使われ、また、中華民国の時代、孫文が北伐の司令部を置いたこともある。現在は、広西師範大学のキャンパスになっている。
キャンパス内、独秀峰の麓に靖江王府ができている。
<独秀峰>(どくしゅうほう)
高さ70メートル。紫金山ともいう。桂林市の市街の中心、広西師範大学のキャンパスのなかにある。306段の階段がつけられていて、頂上まで登ることができる。頂上からは周囲の奇峰と桂林市の全景、そして町の東側を流れる漓江が一望できる。
五世紀、南北朝時代の詩人・顔延之がこれを見て詠んだ詩より名が付いたと伝える。「未若独秀者、峨峨郛邑間」(いまだ独り秀でた者にしかず、郛邑の間に峨々たり)。郛邑とは城郭や街をいう。街のなかにあって独り聳えた姿を称えられた。この姿より「南天一柱」と称えられる。